阿多野用水について

 あらすじ

もっと詳しく知りたい方は

 この用水は箱根用水に遜色しない北駿の大開発事業で、時代も箱根用水と同じ頃の寛文12年(1672)である。
 大御神の布引の滝を起点として、現在も吉久保・阿多野・菅沼耕地の用水の役目を果たしている。
 この阿多野用水には2人の人物が登場する。
1人は湯船の名主池谷市左衛門、もう1人は喜多善左衛門で共に子孫は阿多野にある。
 池谷市左衛門は阿多野開拓を発案し喜多氏と共に中心的役割を果たし、工事完工後、湯船名主を子供にゆずって阿多野に移り住んだ。
 喜多善左衛門は江戸材木町で米穀商を営んでいたが、祖先は祖先は今川義元の一族である。何かの機会に江戸で市左衛門と知り合い、開拓の話を聞いて援助者となり資金を調達、阿多野に移住し嫡男長十郎と共に寛文8年(1668)に着工 し寛文12年8月に完成させた。
 水源 @水源地 布引の滝
     A長さ50間(約90m)・横32間(約58m)の堤を築く。
 隋道 5箇所 453間(815m)・水路5981間(1077m)
 開田 50町歩余 収穫米(3000俵)
 開発費用 9000両
10  その後、宝永4年(1707)の大噴火で大災害を受けたが、伊奈半左エ門の援助によって復旧した。このときの直接工事を担当した長十郎の辛苦は筆舌に尽くしがたいものがあった。